ゴー宣DOJO

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大須賀淳
2023.12.23 14:11その他ニュース

「宝島」と「サブカル」と「ゴー宣」(プレイバック今週 12/17〜23)

今週は「宝島社」創業者である蓮見清一氏の訃報が届きました。

 

「宝島」という雑誌は、大胆に方向性を変えながら2015年まで発行されていましたが、団塊ジュニア世代の自分たちにとっては「サブカル」の総本山的な存在。(もちろん自分を含めた)「俺は周りの奴とは違う」と、今で言う「中二病」をこじらせた奴が「皆読んでる」という、実にアンビバレントな存在の雑誌だったと思います(そして高校生の時には、急にヘアヌード雑誌となり、「読む動機」が変わってしまったのも衝撃(笑))。

 

ところで、初代ゴー宣の1巻を読んでいる方はご存知と思いますが、ゴー宣の前身は「宝島」に連載されていた「おこっちゃまくん」という2ページのエッセイ漫画だったんですよね。先日の「歌謡曲を通して日本を語る」でも取り上げられた甲斐よしひろさんとのエピソードも既に登場しており、個人的にはゴー宣の歴史における「古事記」みたいな位置にあると思っています。

 

たしか同作は、担当編集者がページ末に入れる価値相対主義的な「柱」(コメント文)によしりん先生が憤って辞められたとう事だったと思いますが、これは後のゴー宣を考えると、非常に多くの示唆が含まれた展開だと思います。

 

宝島社は、1980年代に世を覆っていた「ケーハク」な空気感の衰退に呼応するかのように、1993年に「宝島30」というオピニオン誌を創刊します。僕の個人的な感触だと「ただれるような豊かさ」と価値相対主義に覆われた幼児的サブカルの限界が見えてきた状況に、強烈な楔を打ち込んだ作品がゴー宣であり、よしりん先生に見限られた「宝島」の、成長と生存の大きな意思表示の結実が「宝島30」という雑誌だったのではと感じています。

 

この「宝島30」には、くしくも「30」年後に出版された「よしりん御伽草子」の原型となった「よしりん昔話」も(数話で終わってしまいましたが)掲載されいていました。おもしろい事に、サブカルからの脱却をめざして創刊されたと思われる宝島30に掲載された「よしりん昔話」は、極めて実験的な要素に溢れた「サブカルの究極系」とも呼べる性質を持っていると思います。

 

もう一つ小ネタを加えると、宝島30の連載の中で自分が好きだったものの一つに「トンデモ本の世界」というコーナーがありました。これは、現在ではすっかり定着した(オカルトや疑似科学などに対する)「トンデモ」という語の発祥地でもあり、そしてこの企画でかなり初期にネタにされていたのが、皆さんおなじみ(笑)ミスY染色体こと竹内久美子氏です。トンデモ歴30年を超える、筋金入りの…(忖度)珍しい考えの発信者…です…。

 

「宝島社」という出版社の存在はあらゆる角度から語るべき要素があるのですが、創業者の訃報を聞いて、ゴー宣の誕生や、現在に至るまでの様々な「伏線」たりうる要素について、色々と思いを巡らせていた今週でした。

 

このブログは、まだ自分の中の追憶ベースで軽い感じで書いているんですが、この辺りの流れをきちんと整理したくなって来たので、年明けに国会図書館や大宅壮一文庫とかできちっとリサーチしてみようかなという気になって来ました。

 

今はじめて話しますが、ゴー宣ジャーナリストの皆さんの執筆攻勢も始まった今、2024年にはゴー宣道場ブログをたたき台に新書の2〜3冊も出て良いんじゃないかと考えています。私も今、色々と脳内の棚卸しを行っていますが、皆さんそれぞれ「本にできる」到達点を見据えながら、情熱と綿密な高層の両輪で記事を書いて行きましょう。提案です。

 

出版界の寵児の訃報に思いを巡らせながら、次の革命を起こすのは自分たちだという気持ちしか湧いてきません。2024年は、クソみたいな「ファスト言論人」を駆逐して、自分たちが「メイン」を構築していく所に尽力して行きましょう。

 

俺は「前のめり」以外の姿勢をとる気は一切無いですよ!

大須賀淳

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